山本玄峰 (やまもとげんぽう)
山本玄峰(1866-1961)は、紀伊に生まれた臨済宗の禅僧。妙心寺632世。名は宜詮。号は般若窟。眼を患ったため治療祈願で四国遍路に出るが、その途中で高知雪蹊寺門前に倒れていたところ、住職の山本太玄に救われ、翌年得度。滋賀永源寺、神戸祥福寺、岡山宝福寺、岐阜永保寺などに参じたのち、雪蹊寺に住した。その後、京都円福寺で見性宗般の法を嗣ぐ。静岡県の三島龍沢寺に移り、中川宗淵などを育てた。静岡松蔭寺や長野正受庵、愛知瑞泉寺などをへて、妙心寺派管長を務めた。また、欧米やインド、中国なども歴訪し、中国の新京では妙心寺の別院を創建している。「無門関提唱」などの著作もある。