秦慧玉 (はたえぎょく)
秦慧玉(1896-1985)は、兵庫県に生まれた曹洞宗の僧。兵庫県の長松寺で秦慧昭について7歳頃に得度。のちに秦慧昭から嗣法。東京寶昌寺の住職となり、曹洞宗大学林の卒業をへて、岐阜県の正眼寺で修行。その後、二十代後半で東京帝国大学に入学したが、東北帝国大学に移り、武内義雄について支那学を学んだ。東北帝国大学の卒業後は、旧制浦和高教授、駒沢大教授、青葉学園園長などを歴任。東京の田中寺住職、兵庫県の長松寺住職、曹洞宗管長、永平寺七十六世貫主、全日本仏教会会長なども務めた。また、インドやアジア諸国、欧州、北米なども訪問し、ガンジーやローマ法王とも会見。漢詩では宗門の第一人者と称され、能書家としても知られる。道号・法諱は明峰慧玉、禅師号は慈眼福海禅師。「新詩偈作法」「生活の中の禅」など多数の著書がある。