安田老山 (やすだろうざん)
安田老山(1830-1883)は、美濃に生まれた南画家。
はじめ家業である医を修めたが、詩書画を好み長崎で日高鉄翁に学んだ。
長井雲坪とともに渡清して、各地を遊歴すると同時に胡公寿に師事した。帰国した時は無名で生活に窮し、再び渡清を企てるも日下部鳴鶴・巌谷一六と出会い、その画才が見出される。東京を代表する存在となり、胡公寿風の老山と鄭板橋風の奥原晴湖、2人の大陸風の画は大いにもてはやされた。
安田老山(1830-1883)は、美濃に生まれた南画家。
はじめ家業である医を修めたが、詩書画を好み長崎で日高鉄翁に学んだ。
長井雲坪とともに渡清して、各地を遊歴すると同時に胡公寿に師事した。帰国した時は無名で生活に窮し、再び渡清を企てるも日下部鳴鶴・巌谷一六と出会い、その画才が見出される。東京を代表する存在となり、胡公寿風の老山と鄭板橋風の奥原晴湖、2人の大陸風の画は大いにもてはやされた。