黒田稲皐 (くろだとうこう)
黒田稲皐(1787~1846)は、鳥取藩主・林源三郎の弟として生まれたが、鳥取藩主池田家の分家、東館の家臣だった黒田家の養子となった。その時期は、文化4年から同9年の間と考えられる。絵を幼少の頃から好み、藩の御用絵師・土方稲嶺に学んだ。
池田仲雅の近習として公務に励むかたわら、二十代の頃から幅広い画題の作品を描いている。特に鯉の絵を得意とした。
黒田稲皐(1787~1846)は、鳥取藩主・林源三郎の弟として生まれたが、鳥取藩主池田家の分家、東館の家臣だった黒田家の養子となった。その時期は、文化4年から同9年の間と考えられる。絵を幼少の頃から好み、藩の御用絵師・土方稲嶺に学んだ。
池田仲雅の近習として公務に励むかたわら、二十代の頃から幅広い画題の作品を描いている。特に鯉の絵を得意とした。