Basho
芭蕉展
2024.10.31-2024.11.09
松本松栄堂 東京オフィスにて「芭蕉」展を開催致します。
今回は芭蕉の優品に加え、芭蕉の俳句「古池や」を白隠、良寛が揮毫した作品も展示致します。
白隠が揮毫した「古池や」は新出の作品ですので、この機会に是非ご高覧頂けましたら幸いです。
会期:2024年10月31日(木)〜11月9日(土)
会場:松本松栄堂 東京オフィス
(東京都中央区日本橋3丁目8-7坂本ビル3階)
打失心身
「荒海や佐渡によこたふ天乃河」の小色紙は、芭蕉自筆の書のなかでも抜群の名品と言い得る一点である。この句が人口に膾炙していることもあるだろう。意気軒高な時代の一画強調の癖は影を潜め、ところどころかすかに揺れ動く鋒先の跡が、老境に差し掛かろうとする芭蕉の体温を留めている。
おそらく求められて揮毫したのだろう。帖や貼り交ぜ屏風に仕立てるためのものだったのかも知れない。十三文字の句を四行に、行頭・行脚に高低をつけながら散らし書きにする。「天乃河」は文字を左に少しずつずらし、他よりも少し大きめ。人に個々の声調があるように、書きぶりから伝わってくる語句の強弱は芭蕉の肉声に等しい。
芭蕉は、宗因や惟中らに連なる談林派の書風を振り出しに、軽みのある飄々とした風を身につけた。それを地金としながらやがて平安古筆に傾倒する。毛筆の弾力を自在に操り、転折で小気味よくリズムをとった長文の書状などは、まさに能書の手腕そのものである。その領域を抜け出た先にあったのが『おくのほそ道』の吟行以降の境涯であり、「荒海や」の小色紙はその結晶の一つなのである。
仮名は漢字から発して簡略化を繰り返しながら、日本語の語感にふさわしい姿に変化した。その簡素な美しさが平安古筆の本質であり、芭蕉が古筆を学んだことの意味に違いない。
「古池や」の句は、生前に評判を得て、芭蕉の歿後それほど時を経ないうちに蕉門を象徴する句となったようだ。閑とする古池に蛙がぽちゃんと飛び込んだその音に、多くの人びとが寂寥感を覚え、また人生を重ね、宇宙の広大であることを知ったのである。
白隠はこの句の前に、「聞蛙投井、打失心身」と詩を添えている。ぽちゃんという水音を聞いて、「心身の打ち失す」―身も心もふと消え去った―と。白隠はこのほかにも、西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」という歌にも「打失心身」の評を加えている。跳ねた蛙が水中に、飛び立つ鴫が夕空に消え去るさまを見聞して、白隠の身と心の境はなくなり、その心身すら虚空に消え入ったように感じたのだろう。
同じ句を良寛は草がちな仮名で記した。出雲崎で生を享けた良寛は、芭蕉の詠んだ佐渡の荒海を眼前に暮らした。「古池や」を本歌にした句も遺していて、芭蕉を敬仰したことはよく知られている。良寛の書には、あらゆる装いを削ぎ落し、そこに残されたものの強さと美しさがある。芭蕉の書との造形的な共通点はそう多くはないが、簡素を旨とする二人には、たしかに通底するものがある。
白隠も良寛も、民衆に分け入って馴染みのある言葉で禅を説いた。だれもが知るこの句を、二人の禅師が敢えて揮毫することで、わたしたちは身近に存在する禅に改めて気づかされる。そして、これまでこれらの書を手元に置いた人びとのなかにも、心身を打ち失す一瞬が訪れた人があったに相違ない。
(大東文化大学 高橋利郎)
会場
松本松栄堂 東京オフィス
〒103-0027
東京都中央区日本橋3丁目8-7 坂本ビル3F
担当者電話番号:080-9608-7598
Mail:info@matsumoto-shoeido.jp
営業時間:10:00 - 18:00