
Basho
芭蕉展
2024.10.31-2024.11.09
松本松栄堂 東京オフィスにて「芭蕉」展を開催致します。
今回は芭蕉の優品に加え、芭蕉の俳句「古池や」を白隠、良寛が揮毫した作品も展示致します。
白隠が揮毫した「古池や」は新出の作品ですので、この機会に是非ご高覧頂けましたら幸いです。
会期:2024年10月31日(木)〜11月9日(土)
会場:松本松栄堂 東京オフィス
(東京都中央区日本橋3丁目8-7坂本ビル3階)































「むまぼくぼく」句短冊
紙本 26,5cm×5,4cm 箱入
「平成28年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
むまぼくぼくわれを絵に
みんなつ野かな ばせを
天和三年(1683)夏に発句された、「夏馬の遅行我を絵に見る心かな」を改変したもの。この発句は、のちに種々改案され異形のものが多い。(芭蕉展解説より)

「むまぼくぼく」句短冊

「むまぼくぼく」句短冊

「むまぼくぼく」句短冊

「あけゆくや」句文懐紙
紙本 18,2cm×20,9cm 箱入
「平成28年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
あけゆくや 二十七夜も 三かの月
句意は船の中から明けゆく空を仰ぐと、三日月さながらの二十七日の月を見ることができた、の意。
書風は貞享期の特徴を示し、「あ」「や」「も」の個性や落款、および使用された関防印が貞享後期に集中してみられることから、染筆は貞享三、四年頃と推定される。(芭蕉展解説より)

「あけゆくや」句文懐紙

「あけゆくや」句文懐紙

「あけゆくや」句文懐紙

「あけゆくや」句文懐紙

意専宛書簡 元禄四年五月十日付
紙本 15,4cm×43,7cm 箱入
「平成28年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
京都在中の芭蕉が、かねてからの念願であった東国旅行を果たした意専に旅の感想をたずね、自身の近況を綴った書簡。
意専は、伊賀国上野の富豪にして、伊賀蕉門最古参の一人。
本書簡は、「蓑虫庵小集」(猪来編、文政七年)によって知られていたものの原簡。(芭蕉展解説より)

意専宛書簡 元禄四年五月十日付

意専宛書簡 元禄四年五月十日付

特別出品
「荒海や」句色紙
紙本 18,5cm×16cm
「平成26年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
荒海や 佐渡に よこたふ 天の河 芭蕉
「奥の細道」旅中、越後国出雲崎での一句。
荒海のはるか彼方、佐渡島へかけて大きくよこたわる天の川に自然の雄大さと人間の哀れさを詠む。(芭蕉展解説より)

「たはみては」句自画賛
紙本 32,4cm×48,9cm 箱入
「平成26年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
たはみては 雪待竹の けしきかな ばせを
元禄七年帰郷の途についた芭蕉は、島田の如舟亭に滞在する。
同年閏五月二十一日付の曽良宛芭蕉書簡に、この滞在中に「奉書に竹などをかきてとらせ」たことを報じている。
後に同地を訪れた支考は如舟亭で「たはみては」の竹の自画賛を見ており、この時の芭蕉の作が「たはみては」句の竹の自画賛であったことがうかがえる。
本作品が如舟に与えたものであるのかは不明であるが、その染筆は元禄七年に近い時期とみてよいだろう。
なお、雪中庵完来による極書が付属する。(芭蕉展解説より)

「たはみては」句自画賛

「たはみては」句自画賛

曲水宛書簡 元禄三年六月三十日付
紙本 23,9cm×66,4cm 箱入
「平成26年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
江戸勤番中の膳所藩士曲水からの二度の来状に応じた一通。
芭蕉が座右の書とした「荘子」の理想郷「無何有の郷」に匹敵するという幻住庵での生活を詳細にかいま見ることが出来る。(芭蕉展解説より)

曲水宛書簡 元禄三年六月三十日付

曲水宛書簡 元禄三年六月三十日付

「ねぶの木の」発句懐紙
紙本 46cm×22,6cm 二重箱入
「芭蕉全図譜 岩波書店」所載品
ねぶの木の 葉ごしもいとへ 星の影 ばせを
句は元禄四年六月編集終了の「猿蓑」所収。
前年の七夕ごろの作と考えられる。この日は四月六日から七月二十三日までの幻住庵居住期間にふくまれるので幻住庵での作となるが、芭蕉は庵から方々へ出歩いているし、句の内容からみると、星祭の行事に大津か膳所へ招かれ、そこでの染筆かも知れない。(芭蕉全図譜解説編より)

「ねぶの木の」発句懐紙

「ねぶの木の」発句懐紙

「ねぶの木の」発句懐紙

白隠慧鶴 「古いけや」
紙本 89,6cm×36,9cm(総丈139cm×43cm) 箱入

白隠慧鶴 「古いけや」

白隠慧鶴 「古いけや」

白隠慧鶴 「古いけや」

良寛 「ふるいけや」芭蕉発句
紙本 57,3cm×22cm 安田靱彦、相馬御風箱書
「良寛墨蹟大観 中央公論美術出版」所載品
芭蕉の代表的名句を書いた一幅。
良寛は西行とともに、芭蕉を非常に尊敬し、「芭蕉翁」と題する詩を詠んでいるくらいである。(良寛墨蹟大観解説より)

良寛 「ふるいけや」芭蕉発句

良寛 「ふるいけや」芭蕉発句































「むまぼくぼく」句短冊
紙本 26,5cm×5,4cm 箱入
「平成28年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
むまぼくぼくわれを絵に
みんなつ野かな ばせを
天和三年(1683)夏に発句された、「夏馬の遅行我を絵に見る心かな」を改変したもの。この発句は、のちに種々改案され異形のものが多い。(芭蕉展解説より)

「むまぼくぼく」句短冊

「むまぼくぼく」句短冊

「むまぼくぼく」句短冊

「あけゆくや」句文懐紙
紙本 18,2cm×20,9cm 箱入
「平成28年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
あけゆくや 二十七夜も 三かの月
句意は船の中から明けゆく空を仰ぐと、三日月さながらの二十七日の月を見ることができた、の意。
書風は貞享期の特徴を示し、「あ」「や」「も」の個性や落款、および使用された関防印が貞享後期に集中してみられることから、染筆は貞享三、四年頃と推定される。(芭蕉展解説より)

「あけゆくや」句文懐紙

「あけゆくや」句文懐紙

「あけゆくや」句文懐紙

「あけゆくや」句文懐紙

意専宛書簡 元禄四年五月十日付
紙本 15,4cm×43,7cm 箱入
「平成28年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
京都在中の芭蕉が、かねてからの念願であった東国旅行を果たした意専に旅の感想をたずね、自身の近況を綴った書簡。
意専は、伊賀国上野の富豪にして、伊賀蕉門最古参の一人。
本書簡は、「蓑虫庵小集」(猪来編、文政七年)によって知られていたものの原簡。(芭蕉展解説より)

意専宛書簡 元禄四年五月十日付

意専宛書簡 元禄四年五月十日付

特別出品
「荒海や」句色紙
紙本 18,5cm×16cm
「平成26年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
荒海や 佐渡に よこたふ 天の河 芭蕉
「奥の細道」旅中、越後国出雲崎での一句。
荒海のはるか彼方、佐渡島へかけて大きくよこたわる天の川に自然の雄大さと人間の哀れさを詠む。(芭蕉展解説より)

「たはみては」句自画賛
紙本 32,4cm×48,9cm 箱入
「平成26年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
たはみては 雪待竹の けしきかな ばせを
元禄七年帰郷の途についた芭蕉は、島田の如舟亭に滞在する。
同年閏五月二十一日付の曽良宛芭蕉書簡に、この滞在中に「奉書に竹などをかきてとらせ」たことを報じている。
後に同地を訪れた支考は如舟亭で「たはみては」の竹の自画賛を見ており、この時の芭蕉の作が「たはみては」句の竹の自画賛であったことがうかがえる。
本作品が如舟に与えたものであるのかは不明であるが、その染筆は元禄七年に近い時期とみてよいだろう。
なお、雪中庵完来による極書が付属する。(芭蕉展解説より)

「たはみては」句自画賛

「たはみては」句自画賛

曲水宛書簡 元禄三年六月三十日付
紙本 23,9cm×66,4cm 箱入
「平成26年芭蕉展 柿衛文庫」出品作品
江戸勤番中の膳所藩士曲水からの二度の来状に応じた一通。
芭蕉が座右の書とした「荘子」の理想郷「無何有の郷」に匹敵するという幻住庵での生活を詳細にかいま見ることが出来る。(芭蕉展解説より)

曲水宛書簡 元禄三年六月三十日付

曲水宛書簡 元禄三年六月三十日付

「ねぶの木の」発句懐紙
紙本 46cm×22,6cm 二重箱入
「芭蕉全図譜 岩波書店」所載品
ねぶの木の 葉ごしもいとへ 星の影 ばせを
句は元禄四年六月編集終了の「猿蓑」所収。
前年の七夕ごろの作と考えられる。この日は四月六日から七月二十三日までの幻住庵居住期間にふくまれるので幻住庵での作となるが、芭蕉は庵から方々へ出歩いているし、句の内容からみると、星祭の行事に大津か膳所へ招かれ、そこでの染筆かも知れない。(芭蕉全図譜解説編より)

「ねぶの木の」発句懐紙

「ねぶの木の」発句懐紙

「ねぶの木の」発句懐紙

白隠慧鶴 「古いけや」
紙本 89,6cm×36,9cm(総丈139cm×43cm) 箱入

白隠慧鶴 「古いけや」

白隠慧鶴 「古いけや」

白隠慧鶴 「古いけや」

良寛 「ふるいけや」芭蕉発句
紙本 57,3cm×22cm 安田靱彦、相馬御風箱書
「良寛墨蹟大観 中央公論美術出版」所載品
芭蕉の代表的名句を書いた一幅。
良寛は西行とともに、芭蕉を非常に尊敬し、「芭蕉翁」と題する詩を詠んでいるくらいである。(良寛墨蹟大観解説より)

良寛 「ふるいけや」芭蕉発句

良寛 「ふるいけや」芭蕉発句
打失心身
「荒海や佐渡によこたふ天乃河」の小色紙は、芭蕉自筆の書のなかでも抜群の名品と言い得る一点である。この句が人口に膾炙していることもあるだろう。意気軒高な時代の一画強調の癖は影を潜め、ところどころかすかに揺れ動く鋒先の跡が、老境に差し掛かろうとする芭蕉の体温を留めている。
おそらく求められて揮毫したのだろう。帖や貼り交ぜ屏風に仕立てるためのものだったのかも知れない。十三文字の句を四行に、行頭・行脚に高低をつけながら散らし書きにする。「天乃河」は文字を左に少しずつずらし、他よりも少し大きめ。人に個々の声調があるように、書きぶりから伝わってくる語句の強弱は芭蕉の肉声に等しい。
芭蕉は、宗因や惟中らに連なる談林派の書風を振り出しに、軽みのある飄々とした風を身につけた。それを地金としながらやがて平安古筆に傾倒する。毛筆の弾力を自在に操り、転折で小気味よくリズムをとった長文の書状などは、まさに能書の手腕そのものである。その領域を抜け出た先にあったのが『おくのほそ道』の吟行以降の境涯であり、「荒海や」の小色紙はその結晶の一つなのである。
仮名は漢字から発して簡略化を繰り返しながら、日本語の語感にふさわしい姿に変化した。その簡素な美しさが平安古筆の本質であり、芭蕉が古筆を学んだことの意味に違いない。
「古池や」の句は、生前に評判を得て、芭蕉の歿後それほど時を経ないうちに蕉門を象徴する句となったようだ。閑とする古池に蛙がぽちゃんと飛び込んだその音に、多くの人びとが寂寥感を覚え、また人生を重ね、宇宙の広大であることを知ったのである。
白隠はこの句の前に、「聞蛙投井、打失心身」と詩を添えている。ぽちゃんという水音を聞いて、「心身の打ち失す」―身も心もふと消え去った―と。白隠はこのほかにも、西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」という歌にも「打失心身」の評を加えている。跳ねた蛙が水中に、飛び立つ鴫が夕空に消え去るさまを見聞して、白隠の身と心の境はなくなり、その心身すら虚空に消え入ったように感じたのだろう。
同じ句を良寛は草がちな仮名で記した。出雲崎で生を享けた良寛は、芭蕉の詠んだ佐渡の荒海を眼前に暮らした。「古池や」を本歌にした句も遺していて、芭蕉を敬仰したことはよく知られている。良寛の書には、あらゆる装いを削ぎ落し、そこに残されたものの強さと美しさがある。芭蕉の書との造形的な共通点はそう多くはないが、簡素を旨とする二人には、たしかに通底するものがある。
白隠も良寛も、民衆に分け入って馴染みのある言葉で禅を説いた。だれもが知るこの句を、二人の禅師が敢えて揮毫することで、わたしたちは身近に存在する禅に改めて気づかされる。そして、これまでこれらの書を手元に置いた人びとのなかにも、心身を打ち失す一瞬が訪れた人があったに相違ない。
(大東文化大学 高橋利郎)
会場
松本松栄堂 東京オフィス
〒103-0027
東京都中央区日本橋3丁目8-7 坂本ビル3F
担当者電話番号:080-9608-7598
Mail:info@matsumoto-shoeido.jp
営業時間:10:00 - 18:00


