Goodness Vol.2
善 展 Vol.2
2021.10.29-2021.11.07
この度、松本松栄堂 東京オフィスにて善をテーマにした展示会を開催致します。
善をテーマにした展示会は去年に続いて2回目となります。
以前の様に自由にどこへでも移動する事が困難になり、身体的にも、精神的にも閉塞感を感じる生活が続いているかと思います。
私どもは、先人が遺してくれた言葉には、迷いや疑問などを解決してくれるヒントが詰まっていると信じています。
本展を通じて、少しでも精神的閉塞感を忘れて頂く事ができれば幸いです。
是非、先人の遺してくれた言葉に耳を傾けて日々の生活に活かして頂ければと思います。
会期:10月29日(金)から11月7日(日)
会場:松本松栄堂 東京オフィス
書の高さ
書には上手さもさることながら「高さ」が大事なのではないかと思う。
稽古事として、実用として、均斉のとれた文字を求めるところに書の入り口があることは、今も昔もそう変わりあるまい。上手さというのは言語としての文字の根底を支えるもので、これにも十分な鍛錬を必要とする。美しい文字は、美しい言葉にほかならない。小学校や中学校で習うような書写的な技法というのも実は奥が深いもので、これをそつなく書き上げることができる手練れというのは、本当にごくわずかである。
一方の「高さ」ということになると、上手さとは別のベクトルを持っている。1964年東京オリンピックのポスターや多くの企業ロゴデザインなどを手がけた亀倉雄策は書に強い愛着を抱いていた。そのエッセイに、「いい書」とはなにか、忌憚なく論じられている。
私は素直で、しかも一生懸命で、そしていい書が好きだ。いい書というのは、その素直さのなかに、味わいや、哲学的な深さ、明快な雰囲気が、作らず構えずに自然とにじみ出たものである。だから人間性の高さとか深さが、書では露骨に現われてしまう。こんなに露骨にごまかせない芸術というのは、他にないのではなかろうか。人間の浅はかな、いっさいの粉飾をよせつけないのが書の芸術だと思う。
だから、私は書が好きだ。そして、それだけに、いつも失望してしまう。(「デザインと書」、『出版ダイジェスト』昭和50年)
書の「高さとか深さ」は、偽ることのできない人間性の露骨な表出なのである。それだけに書に、そしてそれを揮毫した人に、「失望してしまう」こともしばしばなのだろう。この一文に続いて、好きであるがゆえに覗いた書道展で、むしろ「ハラハラ」してしまう心持ちが綴られている。発想と工夫を練り上げていくデザインの世界に生きているからこそ、直截にその人を表わす書の魅力と、そこに同居する恐ろしさとを肌で感じるのだろう。
書家で日中の書画の名品を蒐集した赤羽雲庭は、墨跡について次のように語る。
墨蹟と言っても大燈国師よりも、もっと寧ろ崩れたもの、書法に関わらないもの、風雅なもの、俳味を持ったもの、総轄してお茶の飲める書、斯う言うものが大部分の美術愛好家にとっては大人の書と思われるらしいのであって、現在の日本に於て書を理解して居て、他の古美術と同等の高さに書を見てくれる人の大部分が斯う言う観方をする様である。良いものは良いので、この面の書の良さを私も認めるし、又好き嫌いは自由でもある。(『書品』1953年1月)
風外慧薫や雲居希膺には、室町水墨や宋元の墨跡に連なる風趣がある。白隠や仙厓の出現前の、清澄な趣のなかに大衆に溶け込む柔らかな動きもある。そして、白隠や仙厓、さらには東嶺や良寛にも、戦乱の世を抜け出た近世日本の明るさがある。雲庭のいう「俳味をもったもの」ということになるだろうか。「高さ」というのは鹿爪らしい表情をしたものではなく、案外身近で親しみやすい姿をしたものでもある。さらに付け加えるのであれば、仙厓や良寛となると、同時代の文人顔負けの上手さの上に立っている。赤羽雲庭もまた上手い人だ。40代に差し掛かったころ、雲庭は自らの書の行方を次のように予測した。
此頃になって斯く言う私も、以前には興味もなかった墨跡調が、或は私の前途に待受て居るのではないかと考え、又それの持つ引力の様なものに牽かれる危険を感ずる様になった。危険と言うのは、私は前に述べた様な人達にそれ程知人はなく、又褒めて貰う必要もない、が現在の様な私の書を突進めて行き、書家の書となるのを避ければ嫌でも其処に填り込みそうで、少なくとも自分では本格を歩いて居ると思う道から逸脱する危険さである。(同前)
白隠の最晩年の大作「寿字円頓章」を愛蔵した雲庭は、この予測の通り墨跡世界に近づいていくことで自らの表現を完成させた。造形の工夫に収斂されることを余儀なくされた戦後書壇において、「作らず構えず」、ましてや「書法に関わらない」という姿勢は通用しない。 雲庭は、自身が警戒していた墨跡という、いわば毒を喰らうことで余人の至り得ない高さを手に入れたのである。
しかし、その「高さ」を意識した途端、書には嫌な作為が滲み出ることになる。心手は相応じて、偽ることなくその人のその時を紙面に刻むのである。
大東文化大学 教授 高橋利郎
会場
松本松栄堂 東京店
〒103-0027
東京都中央区日本橋3丁目8-7 坂本ビル3F
担当者電話番号:080-9608-7598
Mail:info@matsumoto-shoeido.jp
営業時間:10:00 - 18:00